心のクリニック 新しい風 「病気を悪ではなく、自分を変えるための“条件”として捉えてほしい」という思いで患者の可能性を開く助力者となるべく治療を実践。

 

 

 

院長コラム

Vol.2 絆を結ぶ
 「治りますか?」と訊いてくる患者さんがいる。そんな時、「治ります」とは答えない。

 いろいろな症状に苦しんでクリニックを受診されるけど、私の実感としては、治るというよりは、自分の現状があるがままに見えてくる、その結果として症状が消えるという感じである。

 Aさんは、30代の女性であるが、自分の未熟な現状が許せなくていつも「こうあるべき」という所謂、【理想自我】が、彼女を責めていた。それでいつも苦しんでいた。ずっと彼女の話を聞いていても初めの頃は特に大きな変化は無かった。人間としての親しみや信頼関係は築かれていってはいたが・・・。

 或る時、彼女にいつも言っている内容なのだが、「あなたは、こうあらねばならない。という意識が強すぎてあるがままの自分をそのまま受け入れていない。だから苦しいのだと思う。未熟さがあって当然なのにそれはあってはならないもののように、現状の自分を責めている。寧ろ、未熟でも頑張っている自分を励ましてあげる優しい姉のような気持ちで関わったらどうですか?」

 いつもの言葉だったのだが、しかも当たり前の内容なのだが、次の面接で彼女は別人という程の変貌を遂げていた。そのままの現状の自分を良い点も悪い点も含めて受納しており、明るくて溌剌とした彼女がそこにいた。

 「このままでいいんだ。このままのできない自分、未熟な自分でいいやと思えたら、なるようになるし、『鬱の時は鬱を楽しめばいいんだ。』ととても自然に考えられるようになりました。『ああ、なんだこのままでいいんだ。このままの自分でいいんだ。』そう胸落ちした時、世界がとても輝いて見えました。『力む必要はないしこのままの自分をそのまま受け入れて愛そう』という気持ちになりました。頭ではこれまでも分かっていたんですが、胸落ちすることとは全く違うんですね。よく分かりました。不思議なんですが、その事実に気がついてから次々に気づきが起きるんです。『ああそうか!』といった新しい発見の連続です。
診察でよくこのパターンを経験する。

 【境界型人格障害】という診断名がある。私にとっては病名なんてどうでもいいんだけど、病名に捉われてインターネットで調べて絶望した顔で来院する人もいる。リストカットや過食、家庭内暴力‥いろいろやるけど、リストカットについては私は別に止めることはしない。彼女の心の反映であって外側の症状だけを扱っても意味はあまり無いと考えているから。実際、「あまり深く切るなよ。」とか「もっと切るならきれいに切れよ。」とか言いながら気持ちを深く聞いているとリストカットは殆どの場合、いつの間にか消えてしまうことが多い。結局は彼女の内面の寂しさや傷つき、怒り、悲しみ、必要とされないどうしようもない空虚感(虚しさ)・・そのような自己否定的な情動が彼女を苦しめている。

 今の時代の中で表面的な仲間意識は持てるのだろうけれど、本当の心の痛み、存在の虚しさを共有できる絆を持たない人が多い。そのようなどうしようもない孤独感と自己否定の寂しさ、悲しみの中で身悶えしている人が多い。私は分析的な方法を援用はするが、彼女が本当に癒されていく為には、本当の絆の実感と「自分は必要とされている。愛されている。生きていく意味があるんだ。」といった暖かい実感が必要だと思う。虚無感を持ちながら癒されていくことはあり得ない。だから彼女が「生きていて良かった。生きていることが楽しい。」と感じられるような【つながり(絆)】が必要だと思う。

 精神科医の私との1対1の出会いのみでそれが可能とは思わないし、それだけの力は今の私には残念ながら無い。でも彼女の中に眠っている可能性を信じて関わり続けることは決して止めない。私に出来ることは、彼女の心の叫びに心の耳を傾け続け、彼女の痛みを少しでも共有することでしかない。関わり続けることで彼女がどのように変化してゆくのか誰にも分らない。でも今の自分が持っている人間としての全てをぶつけられたらいいなと思う。

 人間は変化してゆく力を持っているし、本当に世界を見る目が変わり感じ方が変わってゆく。その人の人間的な深化・成長は元々その人の内面にあって現れることを待っているような感じすら受ける。精神科医としての私はひとりの人間として彼女の傍にいて彼女に同伴し続けることが出来るだけである。

 最後に私の心から尊敬する人の言葉を記します

『その人を癒すとは、その人と絆を結ぶことである。』

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